Diary Blog of Dary

temtanが書いた文章

物語の発信者にとって実話と銘打つかどうかは超重要ッスね!

ただし美談系に限るかな?

※ここで「銘打つ」ってのは表現している程度の意味ね。書き終わってから辞書しらべたら「特別に名目を掲げること」ってあってちょっと違うと思っちゃったんで。ごめんね。

以下が証拠ね。

2012-01-22

この「ゲーセンで出会った不思議な子の話」も、自分にとっても大事な場所だったゲーセンで、こんな「物語」があったらいいなあ、と、ちょっとうらやましく思いながら読みました。

「実話だったらいいなあ」と、「事実」かどうかで「いいなあ」と思うかどうかが左右されてますね。*1

僕たちは「感動的な話」「いい話」だと思えば思うほど、それが「事実」であることを望みがちですし、ネット上では、その傾向は顕著のようです。

単純に実話であることを望みがちだといってますね。

電車男を「支援」するために、パソコンの前からさまざまなアドバイスを贈り、励まし続けた、善意の「名無しさん」の存在に、僕は心を打たれたのです。

インターネットの向こうには、まだまだこんなに「行き場のない、何の見返りも求めない善意」が存在していたのか……
電車男エルメス』が想像上の人物であったとしても、ネット上の善意の「名無しさん」は、たしかに存在していたのです。

今回の「ゲーセンで出会った不思議な子の話」も、「この物語に感動して、自分も誰かをこんなふうに大事にしたいと思った人」が、ディスプレイのあちら側に、たくさんいたのです。

この 2 つも、電車男の話やゲーセン女の話が事実かどうか気にしていないようですが、善意を持った名無しさんや感動した人が「たしかに存在していた」などとそれが事実=実話であることが強調されていて、実話であったことが感動を生んだ大きな要因になっているようですね。

いやしかし、「これウソですからね、フィクションですからね!」ってキッチリ前置きされたら、どんなフィクションでもつまんなくなると思うんですよね。

そして、逆にフィクション=創作であると前置きされると「つまらなくなる」とハッキリ言ってますね。

これらを総合すると「物語を発表するなら実話と銘打って、読者に実話だと思わせた方が断然にお得である」だって言えますね!だって、「実話なら(そう思わせたら)評価が高くなる」の上に「創作だと(前置きしたら)評価が低くなる」ってこの人が証明してるんだもん。

その上に、本当は創作だけど実話と銘打ってからそれを見破られたとしても、

大事なのは、「それが事実かどうか」よりも、「その話から、何を感じ、何を生かしていくか」なのです。

でもさ、この話って、「事実かどうか」が、そんなに大事なの?

そこに書いてある話が面白かったり、感動できるかどうかだけが「判断基準」で良いのではないでしょうか。

って「創作だけど実話と銘打って発表した物語」が「それが実話かどうか」なんてぜんぜん大事じゃないよね!って反論したりこういう人がこんな感じで擁護してくれるんですからね!

物語を発表するならそれが創作か実話かどうか関係なしに、実話と銘打った方が読者は面白がって評価高くしてくれるからwin-winの関係だし、バレても「そんなの重要じゃない」と反論したり擁護してくれたりするんだからドンドンそうしていった方が良いよね。馬鹿正直に「創作を創作と銘打つ」なんて、馬鹿らしくてやってらんないよね。

まあ、皮肉はこの辺にしておいて、このように実話であるかどうか(実話であると読者が感じるかどうか)って読者の評価を大きく左右する要因になってるわけですよ。「創作を実話と銘打つ」した物語は同じ物語でも「創作を創作と銘打つ」するよりも注目を集めたり高い評価を受けやすい。ということは、馬鹿正直に「創作を創作と銘打つ」をする人は損をする構造になっているわけです。んで、俺は馬鹿正直な人が損をするのが非常にキライなのですよ。

ていうかね、この人の「事実かどうか」って「読み手が読み終えた物語」が「実話(と感じる)かどうか」に限定されてるのよね。そりゃそうだ、実話だと思って実話だから感動した物語が本当は創作だったなんて知ったら気分を害するだけのただ損で、できればだまされたままでいたいもんねえ。「読み手が読み終えた物語」ではない物語、つまりまだ読む前の物語に関しては思いっきり

いやしかし、「これウソですからね、フィクションですからね!」ってキッチリ前置きされたら、どんなフィクションでもつまんなくなると思うんですよね。

って「つまんなくなる」って言ってますからね。それも「フィクションだと前置き」限定で(実話と前置きされた時の話は無し)。本当に「事実かどうか」が大事じゃないなら、フィクションと前置きしても面白いまたはつまらないかの評価は左右されないと思うし、「フィクションまたは実話だと前置きされるとつまらなくなる」でもないのだからやっぱり「事実かどうか」ってのは読者の評価を大きく左右する要因だわよね。
まだ読む前の物語が 2 つ、「実話と銘打っている物語」と「創作と銘打っている物語」があったら(他に特に判断材料がなければ)、人は「実話と銘打っている物語」を見ちゃうんだよね。だって「フィクションと前置きされたらその物語がつまらなくなる」と思うんですもんねえ!
とまあ、文章の端端から「実話かどうか」がその物語への評価を左右しているというのに、「「事実かどうか」が、そんなに大事なの?」とか「そこに書いてある話が面白かったり、感動できるかどうかだけが「判断基準」で良いのではないでしょうか。」って言ってて、この人はなんて自分の言ってる事の支離滅裂さに自覚できない可哀想な人なんだと思っちゃったりしたのでした(実話)。

*1:「「物語」があったらいいなあ」で「物語が」だから事実かどうかは関係ないってのは駄目ね。それを肯定するなら、もうその物語は提示されており、「「物語」はあったんだなあ」になるから