Diary Blog of Dary

temtanが書いた文章

虚構新聞ヘイトの経緯、ボーガスとの違いとか

虚構新聞の件で意見が割れたのは線引きの問題だった - システムアーツ@はてな

こちらへの返答的なの。まずはじめに、自分は虚構新聞が嫌い嫌い粗探しモードに入ってるのでその辺のバイアスが相当かかってると思います。自分なりに客観的に書くつもりだけどね。

虚構新聞というサイトを嫌うようになった経緯

端的に言うとタイトルにサイト名入れないからうぜえこいつ、ってのになる。
以前からはてブで情報収集してる時に、気になるタイトルの記事をクリック→文章読んで中盤過ぎぐらいで「?」となる→トップ画像で虚構新聞ってあって嘘だと判る、ということが何度かあって「うぜえこいつ」となった事が数度あった。それ以降はタイトルにサイト名が無い場合は怪しんでクリックしてからトップ画像確認するようになったり URL を確認するようになったが、結局はノイズなのでうぜえうぜえと思っていた。タイトルにサイト名があれば他の記事と同様にその時点での自分の脳内フィルタで弾くからいいのだけど、虚構新聞の場合は一手間かけないといけないのがうぜえとなっていた。あと、2ch まとめアフィブログ等が流行ってきて PV が重要視されている事が判ると、虚構新聞にアクセスするのもムカつくようになった。
別にジョークサイトが嫌いという訳ではないのだけど、俺が別にジョークを見たくも無い時にもそれを半ば強要してくるのが非常にうざい。他のジョークサイトは自分がジョークサイトを見るつもりで見るのに対し、虚構新聞はジョークサイトを見るつもりが無い時にもアクセスすることになるのでとてもうざい。自分はこの手のジョークの強要というか空気の強要みたいのがとても嫌いではあるが、判らない人間には判らないかなとも思ってる。
ただ、うざくて嫌っているのは確かだがタイトルにサイト名入れないポリシー自体は別に存在はしてもいいと思うし、こちらにはそれを変更させる正当な理由は無いかな(こちらからお願いは可能だと思うし、それを受け入れる入れないの自由もある)と思っているのでうざいと嫌ってはいるがまあその程度でしかない。まあ、うざいけどな。
結局この辺については自分は技術的解決をした。BL Hatena Bookmark村はてブを作って、そこでは URL を検知して虚構新聞のサイトだった場合はタイトルを入れるようにした。これで虚構新聞がタイトルにサイト名を入れないことによるストレスは無くなった訳で、正直言ってこれ以降はどうでもいい存在になっていた。まあうざかった記憶は有るけどね。
ああ、あとついでに言っておくと虚構新聞は何回か「越えてはいけない一線を越えたな」って思った事があってそれで嫌っている面もある。最初は 「適材適所」の鳩山前首相、尖閣諸島に永住へだった気がするけど、今見るとなんでそう思ったのか思い出せない。色々文脈があったのかもしれない。今見ても「越えてはいけない一線を越えたな」と思うのはhttp://kyoko-np.net/2012042001.htmlで、ブックマークコメントでもいくつか言われている。まあ、この辺は人それぞれだと思うけど、こういうセンシティブな事を扱ってたら色々言われるのはまあ当然だよねと。
けど、嫌い具合では 2ch まとめアフィブログ系の方が上で、実際に村はてブとかでもそれらは減点対象だけど虚構新聞は減点対象ではなかったのですよ(今後は減点対象にすると思うけど)。

虚構新聞の中の人が言ってる事が糞いわー

けどね、批判を受けたときの反応がとーっても頂けなくて糞いのよね。それについては、以下に提示した URL の内容についての言及する。この 3 つの内容については虚構新聞であろうと文脈的に本当に事だとして受け取っている。これらの内容が虚構新聞だから嘘だとか言うなら死んだ方が良いと思う。

虚構新聞社 (以後、案内)

虚構新聞デジタル:ニュース特集:検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題(以後、検証記事)

http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/(以後、日記)

一応以前に言及した記事はこちら。こちらともいくつか被ると思う。

虚構新聞はタイトルに虚構新聞と入れなくていいけど、案内ページは正直に書け | N-Styles

http://oresen.sakura.ne.jp/2012/05/18/1205180300/

まずは自分が一番言及してるタイトルにサイト名を入れない事について。検証記事では

本紙においては、「記事そのものが虚構であった」という事実こそ最大の「オチ」であり、最初からヘッダーに「虚構新聞」と入れてしまうのは、手品の種明かしと同様、興ざめであると考える。

とか言ってるけど、その直後に

該当するリンクをたどれば左上に大きく「虚構新聞」のロゴが掲載してあるため、すぐに虚構記事であることは分かるであろう。

と言ってるし、他の人でも多くの人が「サイトにアクセスすればトップ画像で大きく虚構新聞とあってすぐ判る」と言ってる事を考えると、多くの人がサイトアクセス→トップ画像で虚構新聞と判る→記事内容を読む、とやっていると考えられる訳で、既に多くの人が記事を読む前に虚構新聞と判って読んでいる状況なのに「最大のオチ」とか言っているのはおかしいだろと。要するに、「アクセスする前に虚構新聞だと判るのはつまらない」と言っていて「記事を読む前に虚構新聞だと判るのは問題なし」って言っている訳で、何言ってんだこいつとなる訳で結局 PV が欲しいんだろと強くそう感じる訳。

あと、検証記事で、

たった一度リンクをクリックして情報の真偽を確かめるだけの手間を惜しみ、タイトルだけを見て、反射的・盲目的に内容を真実として受け止めてしまう態度こそ、リテラシー上問題があるのではないか。

と、ユーザ側のリテラシーの問題をあげてるのだけど、これってユーザ側がどうあるべきかまでは言ってなくて、じゃあユーザ側のリテラシーはどうあるべきかを考えるのだけど、2000年以前とかの昔はマジモンのブラウザクラッシャーが存在してて、例えば concon 問題とか無限にポップアップするエロ広告とかあって、そもそも怪しい URL は踏まないってのは常識だった訳で、それらを考えると怪しい URL は踏まない→リンクを飛ぶ場合はまず URL のチェックとなる訳で URL をチェックしたら虚構新聞ってアクセスする前に判る訳ですよ。けどそれってその直前に言ってた「最大のオチ」が事前に分かるって事でしょ?これだと矛盾してるよね。矛盾が無くなるように考えると結局こいつがユーザ側に求めるリテラシーって「事前に URL のチェックはせずにアクセスする程度には低い」ってことになる訳。えーっ、ユーザ側にリテラシーを問うているのに、その問いに答えてリテラシーを高めたらこいつの言う「最大のオチ」が先に判って興ざめって、サイトとして一貫性ねーだろと。

あとね、案内には

引用記事へのコメントには、それが嘘であることを明確に言及する、あるいはほのめかすなど、あらかじめ引用記事が嘘であることをにおわせておいたほうが何かとトラブルを招かないと思います。

と言っていて、「嘘かどうか曖昧なままにするとトラブルを招く」という事はこいつ自身が思いっきり自覚している訳でして、それなのに実際にトラブルが起きたら日記には悲しいとか落ち込むとか全体的に「トラブルが起きるとかおかしいだろ」って態度が出てて何言ってるんだこいつと思う訳です。

まあ他に色々(前の記事の「公人」の定義とか)あるんだけどだるくなってきたんで止め。結局全体的に欺瞞を感じるってこと。

ボーガスとの違い

判りやすいところを箇条書き。ボーガス側は

  • タイトルにサイト名が入ってる
  • タイトルだけからもネタ臭さが感じられるときが多い
  • サイトの作りが他の新聞社を模したりしてない
  • 文章の始めの方からネタだと判りやすい(虚構新聞は中盤まで判らない事が多い)

まあこの辺は他でも言及されてると思う。けど、自分はここでは「風刺としての出来」に詳しく言及したい。

まず、「風刺として出来」とは何か。自分の主観の話なのだけど、風刺 - Wikipediaのが自分の感覚に近かったので引用する。

風刺(ふうし、諷刺とも)とは、 多くの場合、変化を誘発あるいは阻止する意図をもって、主題(人物、組織、国家など)の愚かしさを暴きだし嘲弄する、文章・絵画・劇・映像等さまざまな文化的領域で使われる表現技法である。

強調は自分がやった。つまり、「批判対象の愚かしさを上手く暴いているかどうか」が「風刺の出来」だと自分は思っている。そして、自分は虚構新聞は風刺として出来が悪いい記事が多く(良い記事もあるが少ない)、ボーガスは風刺として成立している記事が多いと感じている。

自分が恣意的に抽出した記事になるけど、同じネタを虚構新聞とボーガスで扱った場合があったのでそれを例に出す。

元ネタ : トップページ - 素手でトイレ掃除をさせる人々@まとめWiki - アットウィキ

虚構新聞 : http://kyoko-np.net/2011020701.html

ボーガス : http://bogusne.ws/article/109135913.html

自分はこの問題は、「生徒に危険な行為を強要する」事が問題だと思ったし、「感染症云々」については 2 次的な問題で主要な問題ではないと感じた。「感染症云々」の問題にしてしまうと、「感染症が出ないよう対策するなら問題無い」ということになってしまうと思ったからだ。
ここで虚構新聞を見るとタイトルや内容から風刺のネタは主に感染症についての問題を取り上げていて、その点については風刺出来ていると言えるが、自分が問題だと思った「生徒に危険な行為を強要する」点は最後の方にちょこっとあるがこれが皮肉になっているのかどうか正直わからない、というかなってないと思う。結局この問題に対する風刺としては少し的外れで出来は悪いと感じる。
対してボーガスの方は、元ネタの問題の「生徒に危険な行為を強要する」という点を元ネタよりさらに強調していて、この行為の結果に

こうしてできあがった肉便器は、
「反抗せず柔順に働く」

と現実だと当事者側は適当に綺麗な言葉を使って誤魔化すのだけど、記事の中では汚かったり悪い意味の言葉をあえて使うことで、当事者側が言っている真実を「暴いている」という形になっていて風刺としては出来がよいと感じている。特に

卒業後に愛知・名古屋県の自動車工場などが喜んで引き取っていくという

点が、判らない人でも得に問題無いし、判っている人にはさらに風刺対象が出てきていて面白いと思う。

これは自分が恣意的に抽出した記事で両方の記事全てを見た訳ではないけれども、全般的に虚構新聞とボーガスでは風刺の出来としてこの傾向があると感じている。ただ、これは単に虚構新聞とボーガスの趣味が自分と合っていない合っていると言ってるだけで、どっちが正しいとか悪いとかではないとは思っている。けど、少なくとも自分はそう感じてるし同じく感じてる人も少なくないとも思ってる。

最後に

冒頭リンクの sys-arts さんの記事で

前のエントリで書いた通りWebのネタ文化はなくなって欲しくないと考えている

とあるけど、仮に批判を封殺して暴走して裁判沙汰になったら、他のネタサイトの人は取り返しがつかないぐらい萎縮するんじゃないすかねー。それとも、この今の虚構新聞じゃ裁判沙汰にはならないって考えてるんかなー?とか。批判があって協調していって落としどころを探るみたいな実績を残して自浄作用がある方が文化としては結果として残っていきそうだけど、どうなのかなー。とか。

という訳で、自分の虚構新聞に対するスタンスを。

虚構新聞とかタイトルにサイト名入れて無くてうざかったけど村はてブとかで解決したし今はどうでもいいかな。けど、たまに一線を越えた記事を書いてるし、中の人間本人もかなりうざい人間だから批判はするべきか。けど中の人突っぱねるみたいだし、それはそれでアリ。自分としてはこのチキンレースを駆け抜けて裁判沙汰になったら web コンテンツとしては非常に面白いので、是非とも色々と頑張っていただきたいですね。