Diary Blog of Dary

temtanが書いた文章

脱非モテはどう振舞うか

http://spica.tdiary.net/20061101.html#p05

トピ主が今置かれている状況は、「非モテ男女が意識を変えられないまま恋人&配偶者を獲得した際に陥りがちな、『幸せになれた筈なのに幸せを実感できない』パターン」であると思った。恋人等を得た途端に一転して“人生の勝利者”を気取る元非モテ(そんな人が実在するかどうか知らない、ここでは単なる想像の産物として書く)と比べれば、私から見て人間的に好感が持てる。

この文章を書いた本人がどんな人間かによって、そういった人をどう思うか変わってくると思うんだけど、非モテの自分からしたら恋人が居ても幸せを実感できないなんてすげえムカつくんですが。言うなれば、大金持ちが「お金があってもつまらない」とか抜かしているような気分でしょうか。むしろ、恋人が居ることで“人生の勝利者”を気取ってもらった方が好感が持てます。だって非モテからしたら、恋人が居る人は“人生の勝利者”なんだからそれらしく振舞っているという事で納得きます。俺だって好きな人が出来て恋人同士になれたら絶対に自分ことを“人生の勝利者”だと思うっつーの。
普通に考えれば恋人が居る人の方が居ない人よりも幸せを感じることが出来る可能性は高い訳ですよ。少なくとも恋人が居ない事で悩む必要が無い。今居る恋人とどうすれば幸せを感じることが出来るのかを模索すれば良いのであって、非モテの自分からしたら、恋人を作ってからやっと悩める悩みである。それこそ憧れの悩みである。考えればどちらが幸せから遠いのか判るだろう。
と言っても、別にこの悩みが全く理解できないわけではない。仮とはいえ女性とデートして、あまりの精神的負担により逃げ出した経験があるので、なんとなく理解できなくもない。いや、理解できなくもないからこそ、やっぱり贅沢な悩みに感じるのだろう。
やっぱり俺は恋人を作って“人生の勝利者”として振舞いたい。振舞いたいからこそ、そういった人達を肯定する。それは未来の自分を肯定すること(の筈)だから。