Diary Blog of Dary

temtanが書いた文章

自分の遍歴

自分の今までの人生がいかに女性と隔離されてきたのか書いてみる。
自分としては確実に平均以下、下位2割には入っているに違いないと思ってる。

小学校低学年

一番幸せだった時期。なんせクラスの半分が女の子。特に3年の時は先生が非常にいい人で勉強が好きになった(なってしまった?)お陰の人でもある。女子全員がバレンタインデーに男子全員にチョコを送るという涙がちょちょぎれるような
いい時期だった。ホントに幸せだった。

小学校高学年

親の都合で転校した先。何故か男女比が 22対9 と理解できない。けど三分の一も居るのだから幸せである。普通に女子とも会話していた覚えがある。美化した思い出か?昼休みは1人で教室で遊んでた覚えもある。けど給食を一緒に食べるとか勉強するとかなんとも素晴らしい環境だった。素晴らしい

中学高校

男子校、それも中学と高校が一体になっている中高一貫校に入学した。してしまった。今考えても人生の一番の過ち。やり直せるならこの学校入らない人生を送りたい。小学生の自分では中学高校で男子校であるリスクの大きさなんてはかり知ることなんて出来もしない訳で、当時はそんなに、と言うか全く危機感を持ってなかったし、別に気にしていなかった。

この6年間は冗談でも何でもなく女性と会話した時間は全部で5分にも満たなかったと思う。当時の自分としては幸せだったのだが、今から振り返るとありえない。思春期の一番異性に興味が湧く時期に完全に隔離され、それこそ自覚すら持てない気付けないのはあまりに大きい。

大学

コンピュータ関連の仕事に就きたいと考えて工業大学の情報系の学科に入学。今考えてみれば、大学の資料を見るときも男女比を見ていたのだから、なんとなくは自覚していたのかもしれないが、まだまだ危機感は薄い。まだ「ひょっとして駄目なのかも」をうっすらと思う程度。まさか現状のようになってるなんて夢にも思っていなかった。

この大学の学科に入った事はあまり後悔しておらす、大学に入ってからバイトなりでもやっていれば違ったのだろうと思っているのだが、どう考えても納得がいかないのが、俺が入学した学科のその年度の男女比。毎年80人中2〜3人程度は女性が居るのだが、自分の年に限って何故かゼロ。後で話を聞いたら、入学しそうな女性が1人しかおらず、その人に1人だけだけど入るかどうかを尋ねたら入らないことにしたらしい。ふざけんな!ふざけんな!こっちの身にもなってみろ!俺がそっちの立場なら即決で入らないけど。結局自分が入った学科は自分の年だけが女性ゼロだった。

2〜3人程度だったら居なくても同じじゃないかと思う人も居るだろうけど、これがまったくもって全然違う訳で、やっぱり居るとゼロでは、こっちの気持ちの持ちようが全然違うんですよ。ホント。実際に何かあるわけじゃないんだろうけど、やっぱり1%でもあるのと確実に0%とは違うのですよ。違うのですよ。ち・が・う・の・で・す・よ。

サークルもコンピュータ系のサークルで、バイトもしなかったので殆ど女性と絡まずに大学時代をすごしたのです。まあ、大学3年あたりで危機感が出てきたし、2〜3ヶ月程度に1回ぐらいは女性と雑談するような事があった気がするので中学高校と比べ良かったといえばよかったのかもしれない。それとも気付かなければ幸せだったのだろうか。

大学院

修士1年の頃は授業があってそこにたまに女性が居たが元学科が違うし研究室も全然ちがうので接触無し。
つーか、この頃になるとだいたいグループが出来あがってて変化なんてそう期待できるもんじゃないし。
修士2年は殆ど研究室に1人でちまちまとやっていた感じ。色々やったが結局それが実を結ぶことはなかったし。

総括

考えてみると学生時代18年間の内、女性でクラスメイトと呼べるような間柄の人なんて小学校の時だけの全体の三分の一の期間で、それも異性を意識したり彼氏彼女の間柄になれるような時期の中学高校以降があまりに酷すぎる。中学高校のあの子がもしかしたら俺の事好きだったのかも?と妄想することすら許されない。同窓会なんて男しか居ないんだから誰もやりたがらない。昔のつてを当たろうも、小学校自体の10年以上前のクラスメイトだけしか居ない。経験値が圧倒的に足りない。自分の人生の殆どが女性と縁のない生活だったんだから、女性が居ること自体が俺にとっておかしな状況。女性が居ることがおかしいと感じるなんておかしい。そんなのおかしい。異常異常。経験値を積もうにも、元々機会が足りない上に、経験値が足りないことによりますます機会が失われていく。悪循環。もうだめ。