Diary Blog of Dary

temtanが書いた文章

ナツさんへの回答等

非モテ論議続き(temtanさんへの回答)

「王様は裸だ」と指摘したらキレられる件について(非モテ論議の問題点)

上記は自分が書いた前回のエントリのついての反応です。これを読んで回答します。

まず、ナツさんの以前のエントリで言いたかったのは
「一般人で非モテの知識初心者」が非モテについて言及する時に「ありがちなパターン」を挙げており、それには一部の非モテからこんな反応が有るよと。けど、その一部の非モテってのは非モテの中では極端な人なんだよ。って事ですね。それならば前回指摘した矛盾点は解消しました。まあ、「失敗する」となると千差万別な気もしますが、その辺は言葉のあやでしょう。

そして、こちらにこう聞いてきています。

temtanさんをはじめとする非モテの多くは、わたしに対しては、「非モテ全体に悪印象を持たれるような極論はやめろ」と非難するのに、そもそもの問題である「こじれた非モテが発言する極論」に対しては、「非モテ全体に悪印象を持たれてしまう」という危機感をまったく抱いていないらしいことが不可解です。

要するに「一部の非モテ発言する極論」と前回のナツさんの記事は「普通の人の『非モテに対する印象』を下げる」という点では一緒だけど、なんであっちは放置でナツさんには今回みたくなるのかと。

これについて回答しますが、その前に「非モテ」という単語について感じたことがあります。それは自分が思っている「非モテ」の意味するところとナツさんの語っている「非モテ」の意味するところに違いがあるように感じました。

とりあえず自分が「非モテ」を自称するようになった経緯を言います。

非モテとは - はてなダイアリーを見ると、一番最初にこうあります。

一般的には、異性からモテないこと。また、その人のことを指す。

この記述と、自分の今までの人生を振り返って「恋人」と呼べる相手が居なかった。だから「ああ、自分って非モテだったんだな」と思いました。それで、その辺の事をブログに記述する時に自分は非モテだって言うようになりました。こんな程度の軽い認識かもしれませんがこんな感じです。要するに「非モテ」ってのは「モテてない人」という「状態」や「結果」といった感じで使っています。(だから恋人が居るまたは、既婚者で「非モテ」と言っている人は「非モテ」ではなく「非モテ的メンタリティを持つ人」と思っています。)

しかし、ナツさんが言う「非モテ」に関する記述では以下のようなのがありました。

ネットにおける「非モテ」というのは、男性・女性という生物学的なカテゴリとは違う、一種の思想集団みたいなものですよね。

モテないことをアイデンティティにし、モテないことによる苦悩や疎外感をよりどころにしてレーゾンデートルを問うているような存在。「恋愛資本主義」「恋愛至上主義」などの造語による主張・世界観からみても、あえていえばカルトに近い。
たとえば、オウム真理教サリン事件を起こしたら、在家信者までが迫害されたように、「ものの考え方・価値観・世界観」をおおむね共有する者たちが、わざわざ自称している属性が「非モテ」であるならば、ある非モテの「非モテとしての発言・自己主張」が、他の非モテにも影響を与えるのは避けられないことだと思うのですが。

*1

この辺は、自分の意見とかなり食い違っています。どの辺を見ればこのような「ネットで非モテを自称する人たち」が「「ものの考え方・価値観・世界観」をおおむね共有する者たち」と見えるのかは判りませんが、ナツさんはこう思っているようです。

しかし、自分はそうではなく「異性からモテないこと。また、その人」と捕らえたので、「一部の極端な非モテ」とそうでない人を一緒くたにして批判することに強い憤りを感じました。暴言を言う酷い人が居た⇒その人は非モテ(モテない人)だった⇒だから非モテ(モテない人)はすべからく酷い、という思考はおかしいんじゃないかと。

そして「一部の極端な非モテが暴言等を一般人に向けること」をどのように感じているのかというと、「あの人達はあの人達、自分は自分」と基本的に不干渉です(不干渉は自分が Web に対するデフォルトのスタンスです)。確かに、同じ「モテていない」という「状態」や「結果」は同じですが、それにいたる経緯等は人それぞれで異なっている上に、その状態に対する「考え方」や「行動」は違っていると思っています。*2。なので「自分が、そのような人と同じ考え方・価値観を持っている人と扱うのはおかしい」と思っています。

以上が、自分がナツさんのエントリに憤りを感じた解説になります。

ちなみに、自分は電波男を読みましたがあまり共感できず、rAdioさんの言っていることも多くは理解できませんし、一部の過激・罵倒・皮肉なブクマコメントをつける人に対して共感できないことも多いです。けど、やっぱり自分は先の定義に照らし合わせるとやっぱり「非モテ」なんだなあと思っているので自称しています。自分は非モテと「見られる」んだなあと、他者からそう認識されてしまうんだなあと、ある意味(嫌なのに)押し付けられちゃうんだろうなあとも感じています。

この件の話題がこの界隈に広がっていますが、その辺の記事を見て思ったのは「非モテ」の単語に対する定義がそれぞれ皆かなり違っているんですね。その上に、その言及した「非モテ」が何を考えているのかを実例を示すこともせずにイメージだけで語っている人が多い印象があります。

非モテ」が何なのかについては以前に散々語られてきたと思っています(例えば非モテMAPなんかはそれの結果まとめられた物だと思っています。)が、その割には「非モテ」を正しく理解できていると感じられる人は少ないと感じています。少なくとも、自分のようなタイプについて語っている例は自分の観測範囲内は殆どありませんでした*3。ちなみに、2008-04-09 - uNDer thE mOonは実体験を踏まえており、ちゃんと理解できている例だと感じました。ただし、この例は「非モテ的メンタリティを持つ人」の例ですが。

だから、このような歴史から鑑みるに、「非モテ」を正しく理解して語ってもらうには非常に高いコストが必要でありそうです。しかし、この高いコストを払い正しく理解してもらったところで有益な意見が出るのかというと、それには非常に懐疑的です。なぜならば、結局それはその人個人の問題に帰着するんじゃないかと感じているからです。だから、あまり「非モテ」について正しく理解してもらおうという活動をする気にはなれないと思っています。

*1:ちなみに、ちょっと突っ込みを入れると、この辺は自分はこんな風に感じています。モテないことをアイデンティティに「している」のではなく、「なってしまっている」。「モテないことによる苦悩や疎外感」をよりどころにしているのではなく、「モテないことによる苦悩や疎外感を他の人と共有すること」をよりどころにしている。

*2:この辺は思想と行動による非モテの分類で書きました

*3:本当に僅かにはありましたが